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AAF学校第四回「労働と芸術」(訂正版)
AAF学校2009
第四回「労働と芸術」
講師 櫻田和也さん(NPO法人remo)

第4回のテーマは、労働。
今回は、これまでの話しを受けて、そして、次回廣瀬さんの講義につながる意味も込めて、労働という観点から芸術について櫻田さんに語っていただきました。

講義は1957-58年に書かれたという『資本論』草稿の、マルクスのノート(『経済学批判要綱』通称グルントリッセ)の中から「機械についての断章」(『マルクス資本論草稿集2』大月書店「固定資本と社会の生産諸力の発展」pp.471-504)をSF(スリラー)小説として読み解くという作業を1時間45分ぶっ続けで行いました。非常に難解なテキストを、櫻田さんが読みながら解説をする、独特の間合いですすんでいきます。
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このテキストは有名な箇所なのに版元品切で、古本屋でも入手しにくいということで、お土産代わりにもいただきました。

冒頭、労働と芸術ということを考えるに至った経緯を説明されました。それは、2004年のこと。フランスのアヴィニョンやカンヌ映画祭がストライキにより中止になったニュースが世界を巡ったことがありました。日本でも各紙で取り上げられたのを記憶している方も多いと思います。雇用関係がないなかでストライキを行うこと自体が考えにくいことではありますが、アンテルミットンという、おもに映画関係者向けにつくられた制度があるためにストライキが可能だということです。この制度は、お役所仕事でもあるため、手続きも煩雑で、範囲も限られ、条件にあてはまるかなども難しい制度だということではありますが、こういう仕組みがあるからこそ、ストライキができたというのは、アーティストの権利を考える上でも重要なテーマではないでしょうか。

さて、マルクスのノートに戻ります。
このテキストは、彼が40頃のときに書かれたもので、現代につながる部分として、とりわけイタリアのアウトノミアの人たちが重視した本だそうです。中でも、この「機械についての断章」は、とくにアウトノミアの思想、たとえば、アントニオ・ネグリなどが、現代の労働、非物質的労働、あるいは労働の拒否を考える上で最も重視した箇所だそう。

テキストを読み進むにつれ、マルクスが1800年代に著したとは思えないような、現代に通じる、労働の恐怖、はたまた未来へのかすかな希望が感じられます。
前半は、説明というか定義付けというか、非常にこんがらがってしまいそうな文章が続きます。

「最初、価値の資本への移行を考察したときには、労働課程は単純に資本の中に取り入れられた。そして資本は、それの素材的諸条件から見て、つまりそれの物質的定住から見て、この過程の諸条件の総体として現れ、またこの過程に応じて、労働材料(原料[Rohmaterial]ではなく、これが、正確で概念的な表現である)、労働手段、および生きた労働という、質的に異なった特定の諸部分に区分された。一方では、資本が、それの素材的な構成に従ってこれら三つの要素に分かれたのであったが、他方では、これらの要素の動的な統一が(すなわち、これらの要素がいっしょになって過程にはいることが)労働過程であり、それらの静的な統一が生産物であった。この形態では、素材的要素ー労働材料、労働手段、および生きた労働ーは、ただ、労働過程それ自体の本質的諸契機として現われるだけであって、この労働過程を資本はわがものとするのである。けれども、こうした素材的側面ーすなわち使用価値および実態的過程としての資本の規定ーは、資本の形態規定とはまったく離れたものであった。」
アウアウアウ…
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このようなテキストを読み続け、解説をしてもらううちに、なんとなくSF(スリラー)という意味が見えてきました。

資本は人間にとってどんな意味があるかには関心がないという一節(「資本は価値としては使用価値のどんな特定の形態にも無関心」p.477)が出てきます。
機械を導入することによって、労働時間が短くなるという、ブルジョア的決まり文句は嘘っぱちであること、労働を軽減短縮させるのではなく、資本家は機械によって、労働から自立性と魅力的な生活を奪い取るということが語られます。固定資本が大規模になればなるほど、再生産しつづけなければならないという強迫観念がうまれ、資本を投下した生産工場が動き始めたら、永遠に動かし続けなければならなくなってしまうということ、人間個人が持っていた知識や智恵、熟練といった職人芸が、機械の中に結晶化され、人間の労働が富の源泉だと言った時代、そういう条件がなくなってしまったこと…富を図る尺度は労働時間で図ることができなくなるにも関わらず、それでもなおぼくたちは、単価800円そこそこの時間給制で働いているという現実。さらに、資本が機械をなんのためにつかうかというと、労働を軽減したり短縮するためではなく、そのために資本は余分な人口を条件として必要としており、それが「失業」であるという、まさに現代的問題が立ち現れてきます。
自由なぼくたちの日曜日の時間は、社会の生産力が増大することによって、時間が自由になるはずなのに、なぜ過労になるのか。自殺が増えているのか。それは、資本が継続的に剰余労働にしているのではないか、ショッピングで消費すること、アミューズメントで楽しむことも資本にとっては労働ではないか、という問題が提起されました。
たとえば、日曜日のこどもの運動会に持っていく弁当は、大工場でつくられた加工食品で、最新のデジタルビデオを携え、ブランド服を着る。ガラス張りのヲサレなカフェに入って、まるでマネキンのようにキャラメルマッキャートを飲むという、これらぼくたちの普段のちょっとした楽しみは、じつはTVコマーシャルそのままになる、資本における労働に取って代わるということでしょうか。
フリエが明言したという「分配ではなくて生産様式それ自体をより高度の形態の中に止揚することこそ究極の目的だ」というNPO的命題は、果たして実現することは可能でしょうか。

翻って、ここに集うアートプロデュースをしようとするぼくたちは、これら現実の社会を見据え、いかにアートを取扱うことができるでしょうか。普段の日曜日という時間を、労働から離れた生活にすることは可能でしょうか。創造都市ともてはやされ、本来の意味の多様な人々の創造性を失った、単なる都市ブランド戦略(ブランドという名の元のマイノリティ・クリアランス)という、ひとつのトレンドに成り下がってしまうのでしょうか。

今回もっとも重要な点として語られたのは、「思考の基礎体力」以前、つまり考えるということ以前の「違和感」を自覚することの大切さであったように思いました。


それにしても、今日の空はキレイだったね。
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by artsnpolink | 2009-09-24 14:31 | ●学校・講座
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