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全国アートNPOフォーラムin舞鶴 まもなくです!
※転送大歓迎!

『全国アートNPOフォーラム in 舞鶴』

http://arts-npo.org/anf2009_maizuru.html



フォーラム2「舞鶴まちめぐり」
   日 時:2009年11月6日(金) 15:00~17:00
   参加費:1,000円
   会 場:まいづる智恵蔵

フォーラム3「提案!舞鶴、100の希望」
   日 時:2009年11月7日(土) 14:00~18:15
   参加費:無料
   会 場:まいづる智恵蔵

フォーラム4「舞鶴から発信!市民による公共文化政策」
   日 時:2009年11月8日(日) 10:00~17:00
   参加費:1,500円
   会 場:まいづる智恵蔵、市政記念館

※フォーラム1「紹介!地域を彩るNPO活動」は、10月18日に終了しました。
http://artsnpo.exblog.jp/10358596/


美しいリアス式海岸の舞鶴湾は、大陸に臨む天然の良港として太古の昔から港に利用されてきました。西舞鶴は、江戸以前から城下町として栄え、中・東舞鶴は明治以降、海軍の拠点としてまちが発展しました。現在も舞鶴市の湾岸沿いには、旧海軍施設の赤れんが倉庫が多数現存しています。赤れんが倉庫は戦後、民間倉庫会社や国、市などにより利用されましたが、老朽化し取り壊されたものもありました。現存する倉庫も、利用価値がないと取り壊そうという動きもありましたが、赤れんがを愛する市民の保存運動等により、現在3棟の赤れんが倉庫が改修され、「赤れんが博物館」「舞鶴市政記念館」「まいづる智恵蔵」に生まれ変わり、文化活動の展示や発表の場として市民に開放されています。そして、8棟の赤れんが倉庫が国の重要文化財に指定され、人々の記憶や歴史を物語る近代遺産として、新たな文化を刻もうとしています。
昨年、舞鶴市は、赤れんが倉庫群一帯の文化財保存活用と景観整備等を進めるため、ソフト事業に重点を置いた「赤れんがアートスクール構想」をまとめました。
しかし、赤れんが倉庫群を地域の歴史や風土、生活を織り交ぜた文化的ハブとするには、もっと市民を巻き込んだ議論が必要です。
全国アートNPOフォーラムin舞鶴では、舞鶴市民とともに赤れんが倉庫の活用について議論し、赤れんが倉庫群一帯の文化的活用の方法を提案します。そして最終日には、NPO・市民活動全体の課題を協議します。さらに、芸術文化以外の領域で活動する中間支援組織や市民団体等と連携し、新たな社会ビジョンの提案を
目論みます。
舞鶴市周辺住民の方々をはじめ、芸術文化に限らずさまざまな活動をしているNPOや市民団体、アーティスト、企業の社会貢献担当者、研究者、学生、自治体職員などなど、ご関心のあるみなさまのご参加をお待ちしております。
あわせて、ネットワークを広げる機会としても、ご活用いただければ幸いです。


※予告なく出演者、プログラム、時間を変更する場合があります。【敬称略】
▼ フォーラム2「舞鶴まちめぐり」
日 時:2009年11月6日(金) 15:00~17:00
参加費:1,000円

まちめぐり|まちめぐりは、コース1・コース2から選択
コース1: 赤れんが倉庫群とホフマン窯跡、配水池を巡る北吸地区にある赤れんが倉庫群を見学してから、かつて赤れんがを生産していた神崎ホフマン窯と巨大な北吸配水池へ出かけます。
コース2: 旧海軍のまちを探訪
市内に残る近代化遺産を見学してから、遊覧船で海側から造船所や自衛隊基地など旧海軍によってつくられたまちの歴史を探訪します。


▼ フォーラム3「提案!舞鶴、100の希望」
日 時:2009年11月7日(土) 14:00~18:15
参加費:1,500円

基調講演|「赤れんが倉庫と舞鶴の魅力~歴史からみえる地域とNPOの未来」
講 演:山田創平[京都精華大学]

プレゼンテーション1|「誕生!まいづるRB」
プレゼンター:森 真理子[まいづるRB]
プレゼンテーション2|「アーティストが社会にできること」
プレゼンター:砂連尾 理[振付家・ダンサー]
日本、ドイツ、それぞれの土地で、障がい者と行なったダンスパフォーマンスの体験等を踏まえ、人と人、場と場を繋いでいく対話という言葉をキーワードに、ここ舞鶴での可能性を提案します。 

全員参加ディスカッション|「提案!舞鶴、100の希望」
提案1:尾崎秀雄 [株式会社フーズフロンティア]
提案2:志摩敏樹 [シマフィルム株式会社]
赤れんが倉庫群の活用や舞鶴の魅力づくりに関する提案を参加者全員で出し合います。


▼ フォーラム4「舞鶴から発信!市民による公共文化政策」
日 時:2009年11月8日(日) 10:00~17:00
参加費:1,500円

分科会|(分科会は、A・B・Cから選択)
分科会A セミナー:公益法人改革 ―新制度にどう向き合うか
昨年12月、非営利活動の活性化を目的に、新しい公益法人制度が施行されました。画期的な内容を含む一方、運営ルールの厳格さ、実務の煩雑さなど、様々な問題点も指摘されています。今回は、「もうひとつの公益法人制度」であるNPO法人制度とも対比しつつ、理解を深めます。また、アート界への影響についても、考えてみたいと思います。
講師:片山正夫[財団法人セゾン文化財団]

分科会B ワークショップ:ファンドレイジング(戦略的寄付集め)の実践
NPOにとって、ファンドレイジング(寄付集め)は単なる「お金集め」ではありません。そのプロセスを通じて、NPOの活動について、より多くの人々の理解と支援と参画を得ていくという重要な意味を持つものです。ファンドレイジングの考え方とそれを取り巻く社会の変化、そして具体的な手法について御一緒に学びましょう。
ファシリテーター:徳永洋子[日本ファンドレイジング協会]

分科会C 討論:公的助成制度の諸問題解決に向けて
NPOの多くは、自己資金が乏しい中、どうすれば活動を継続・発展することができるでしょうか。今回は、NPO法人鳥の劇場からの問題提起をもとに、公的助成制度で概算払いがなされない点にフォーカスを絞り討議します。
モデルにNPO法人きょうとNPOセンターの取り組みを紹介するほか、制度変革に向けディスカッションを試みます。
ファシリテーター:山口洋典[應典院寺町倶楽部]
ゲスト:中島諒人[NPO法人鳥の劇場]
ゲスト:深尾昌峰[NPO法人きょうとNPOセンター]

ディスカッション「舞鶴から発信! 市民による公共文化政策」
ゲスト:松原 明[NPO法人シーズ]
進 行:宮浦宜子[NPO法人芸術家と子どもたち]


主  催:NPO法人赤煉瓦倶楽部舞鶴
     NPO法人アートNPOリンク
共  催:NPO法人きょうとNPOセンター
助  成:財団法人アサヒビール芸術文化財団
協  賛:株式会社資生堂、トヨタ自動車株式会社
協  力:アサヒビール株式会社
後  援:舞鶴市、舞鶴市教育委員会、社団法人企業メセナ協議会

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by artsnpolink | 2009-10-27 00:54 | 今年の全国アートNPOフォーラム
全国アートNPOフォーラムin舞鶴|フォーラム1
10月18日、全国アートNPOフォーラムin舞鶴がスタートしました!!!

今年のフォーラムはプレを合わせると全部で3期間。
4月にはじまり、10月、そして本フォーラムが11月の3日間です。

今回の《フォーラム1》は、おなじ日本海は北前船の寄港地であった福井・三国湊から、NPO法人三国湊魅力づくりPJの吉村恵里子さんにいらしていただき、NPOの活動事例についてお話しを伺いました。
そして、第二幕では、みんなで考える公開ラウンドテーブル『赤れんが倉庫の活用って必要!? 誰のもの!?』と題したフォーラムディスカッションを実施しました。
どちらかというと、紹介することを目的とした本セッションではありましたが、会場を現在展開中の美術展「浮遊博物館」(監修:小山田徹)の横をお借りして開催しました。
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非常に濃密な時間で、吉村さんたちがやってこられた活動をお伺いし、また、地元の方のみならず宮津や福知山、さらには千葉でまちづくりをされておられる方々などと意見交換をすることができました。
興味深かったのは、舞鶴という街が、他所からは赤煉瓦もあれば城下町もある、深い歴史文化もあれば、今回同時開催していたアーツ&クラフトフェスタやジャズ祭、ちゃった祭などなどとたくさんのプロジェクトがあるなど、うらやましいという羨望のまなざしで見ていらっしゃるということでした。
千葉のまちづくりの方がおっしゃいました。
「赤れんがの倉庫は残した方がいい。いまこれだけのものを創ることは絶対にできないし、この地域の100年前の歴史を語るうえでも重要なことでもある。」と。
そうです、なんとなくカッコイイとか、舞鶴は赤煉瓦の街だから、誰か偉い人が貴重と言ったから、ということではなく、なぜこの地域に赤煉瓦の倉庫があって、なぜいまも残す必要があるのか、その問いかけは、永遠にし続ける必要があるでしょうし、それだけの強度のある素材であると思い直します。
歴史の側面を見ると、目をそらせてはいけない部分もあるでしょう。イケイケドンドンの時代の怖さもある。でも、赤煉瓦という新しい素材で建物を創る時の喜びもあれば、倉庫ができたあとの日々の生活の営みもそこにありました。その意味でも、この建物と面と向かって対峙して、いま我々ができることをやり続けて行くべきことは何かを改めて考えさせてくれるフォーラムになったと思います。
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by artsnpolink | 2009-10-19 21:33 | 今年の全国アートNPOフォーラム
舞鶴を愛でてみた展
京都のアーティスト、小山田徹さん監修による「浮遊博物館 〜海へつながる物たちへ〜」が本日よりスタートしました。
同展は、今回の全国アートNPOフォーラムとリンクするプログラムです。
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「浮遊博物館 〜海へつながる物たちへ〜」

舞鶴市北吸にある、赤れんが倉庫のうち、もっとも巨大な7号倉庫を会場にしています。
でっけー倉庫の半分を埋め尽くすように、海にまつわる万物を脈略なく(一義的にカテゴライズすることなく)展示しています。それぞれが持つ不思議な質感が反発しつつも共鳴しあい、歴史的背景や文脈が混濁しつつクリアーになり、奥ゆかしく漂う浮遊感が存在の意味等々を開放しています。
そして、現在・過去・未来♪(by 渡辺真知子)という時間を超えたつながりであり、物理的に海を越えた遠方へのつながりといった、さまざまな方向へと思いを馳せることができるうえに、タイトル通りの《浮遊》が、なんだか宇宙空間にいるかのような、万物の重さが消え、軽い宇宙酔い(したことねーけど)のような心地良い感覚になりました。
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明日のフォーラム1もさることながら、11月のフォーラムでも一部時間を除き見ることができます。
どうぞ、みなさま友達親族道ばたで出会った赤の他人を引き連れて遊びにいらしてください。
お待ちしております。
リンク事務局@舞鶴にて。
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by artsnpolink | 2009-10-18 00:02 | ●事務局つれづれニッキ
全国アートNPOフォーラム 参加支援のお知らせ
今年、全国アートNPOフォーラムは、舞鶴にて開催します。
全国アートNPOフォーラムin舞鶴はこちら

今年のフォーラムは、NPO職員や事務局担当者、ならびに大学生の方に、交通費の一部支援を行う「参加支援スカラシップ」を実施します。
みなさまのご応募をお待ちしております。

スカラシップ詳細は、こちら。
全国アートNPOフォーラムin舞鶴 NPO・学生参加支援スカラシップ
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by artsnpolink | 2009-10-15 20:33 | ●事務局からのお知らせ
AAF学校第六回「アクティビズムと芸術+ワークショップ」
AAF学校2009
第六回「アクティビズムと芸術+ワークショップ」
講師 小田マサノリ/イルコモンズさん

今回の講座は、東京都の「東京都安全・安心まちづくり条例」を読むことから始まりました。
ちなみに、昨日10月12日は「安全・安心の日」だったそう。
この安全・安心条例では、これまで犯罪にならなかったことが処罰の対象となります。今後、さまざまな都市に波及していくことも考えられます。
浅草の公園ですら、看板に『許可の無い演奏は禁止します』とありました。公園なのに演奏しちゃダメなの?あの楽しげな、おじいちゃんバンド(レパートリーは、「あこがれのハワイ航路」ほか懐メロ♪)は、都政にとって害をなし、安全・安心ではないということでしょうか。それとも著作権違反とか?《審査》に通った、「ヘブン・アーティスト」じゃないと、公園で練習すらもできない?
まさに、奪われる自由時間、失う寛容性。。。

イルコモンズさんは、この条例に疑問を呈します。街がどうあるべきかは人によって考え方は違うでしょう、子どもが誘拐されたり、放火事件があったりすることも事実ニュースになっています。でも、監視カメラを増やすことや、上から圧力で果たして犯罪が抑止できるのでしょうか?安全・安心といううたい文句によって、街から失われてしまう寛容性、これを取り戻すにはどういう方法があるでしょうか、と。

ここで、当日用に作成されたビラを紹介し、夏目漱石の「草枕」を引用されました。
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「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りに、ちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は、人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。」

このビラには、黄色い文字で「リクレーム・ザ・トレランス」とあります。
リクレームは「取り戻す」、トレランスは「寛容」ということ。9.11以降、NYをはじめテロが連続しました。以後、ヘンな行動はテロと読み替えられ、犯罪ではないかと疑われ、他人や異質な人に対して非常に疑心暗鬼に陥っています。それを「トレランス・ゼロの時代」と呼ぶそうですが、その寛容性が失われた時代に生きる我々に、寛容性を取り戻すことができるかと問いかけ、トレランス0の時代をさまざまなやり方で変えようとしている人々が世界にはたくさんいます。それが今回紹介するアクティビストたちです。

この「リクレーム・ザ・トレランス」は、「リクレーム・ザ・ストリート」という運動にちなんでいるそうです。この運動は、1991年にはじまり、94年に大きなムーブメントとなりました。1994年、英国議会が、ムーブメントになりつつあったレイヴ・カルチャーを脅威に感じ、それを防止することを目的(大衆の"群衆化"の禁止?)としたCJA法案を可決しました。それに対して猛然と反対する運動として、ロンドンの路上からはじまったリクレーム・ザ・ストリートが繰り広げられました。

では、いったい何からストリートを取り戻すのか。
それは、法律への反対という意味のほかに、ひとつは車中心の街づくりに対して、そしてもうひとつは、大都市に顕著に見られるように、グローバル企業の広告、店舗に埋め尽くされたストリートから公共空間を取り戻すということの意味が込められているといいます。

これら映像にくわえ、WTO(世界貿易機構)やG8サミットでの抗議行動での映像を紹介、初回の五野井さんの会でも紹介されていたフラッシュモブなど、数々のアクティヴィストたちの実際の映像を紹介していただきました。

これまでのシュプレヒコールをあげて行進するデモの形態から現代のマーチングバンドやパペットを使ったり、ダンスを繰り広げるような祝祭的なスタイルへの変遷をたどります。
運動スタイル転換の契機となったのは、1999年11月にあったシアトル(米)でのWTOに反対する抗議行動だそう。
映像では、黒い衣装をきたマーチングバンドが楽しそうにリズミカルな音楽をかなでます。祝祭的な雰囲気のなか、さまざまな工夫でパフォーマンス風の抗議行動を繰り広げます。これら抗議行動には、さまざまなアクティヴィストが集います。戦争反対、労働運動、環境運動、女性解放、同性愛権利、人権団体などなど、さまざまな主張があります。それらはブロックといって、互いに住み分け衝突を避ける仕組みが導入され、カラーリングされています。イエローは、特定の主義主張を持たず、過激な行動はとらないブロック。レッドは、共産主義、グリーンはエコロジスト、ブラックはアナーキスト、ピンクは同性愛などなど、互いに干渉しすぎないようにルールづくりがあったり、配慮がされているそうです。
そして、自らインディペンデントなメディアをつくり、YouTubeなどを駆使して活動を世界に発信していきます。
このシアトルでの抗議行動は大成功し、実際にWTOの会議は開会式すら開かれることなく終わっています。
これを契機として、アクティヴィストの抗議行動は、これら祝祭性を帯びた新しい世代の行動スタイルが定着します。

でも、このブロックという仕組みは、みんなが力を合わせるという側面を失うことになりました。そして、2003年、メキシコのカンクンでのWTO会議では、ブロックを維持しながらも、失ってしまったみんなで力を合わせて行動するということが試みられます。それは、バリケードに長い綱をかけ、みんなで綱引きのように引っ張ってバリケードを破壊するという行為です。ブルドーザーのようなマシーンを使わず、人の手によって、連帯して行動するということが再度取り入れられていきます。

2005年のスコットランドのG8サミットでも、アクティヴィストたちを盛り上げたのは、マーチングバンド。このようなバンドを、ラディカル・マーチングバンドというそうで、アメリカのハングリーマーチング・バンドなどが有名だそうです。
後半は、ドラムサークルの映像を紹介し、アナーキスト・ドラム・ギャザリングをとりあげました。
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反グローバリズムにおいて、さまざまな言語をもつ人々が世界中から集まります。
英語が必ずしも通じるわけでもありません。
その中で、ドラムという誰にでもできる楽器をつかい、太鼓をたたきながら連帯感をうみだす、音を通じた合意形成を体験する、それがドラムサークルのワークショップです。
単にドラムといってもさまざまな楽器があります。それぞれ個々のドラムがもつ文化的背景を尊重しつつ、そこから自由に奏でるドラムサークルを体験します。
そこでのファシリテーションの方法や、小さな音を弱い音を聞き、大きな音の中で埋もれてしまう小さな太鼓の音をもり立てて行くこと、それが大切だということに触れます。そして、ドラムサークル中、「もっともゆっくり歩むものに足並みをそろえて進む」という、サバティスト(メキシコ)の一節を紹介、いまの効率優先の社会、議会制民主主義の多数決の原理、弱者切り捨ての構造、そういうものの不平等をドラムサークルを通じて体感していきます。

最後に、シアトルの抗議行動で逮捕された刑務所の前に集まり、支援者たちが祝祭的なパーティーをひらいた映像が流れました。そこでのベトナム反戦運動家による新しい世代のアクティヴィストたちを祝う、トム・ヘイデンのスピーチは、たいへん感動しました。
Tom Hayden New Generation of Activists


そして、アートの切り口としての今回のワークショップを語られ、第2回AAF学校で、新川氏が紹介したと同じく、ヨーゼフ・ボイスの一節を紹介し、ドラムサークルの余韻さめやらぬ中、今回の講座が終了しました。
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「すべての人間が芸術家であるということは、すべての人間に本当の能力があるということです。なにも音楽をつくったりする必要はないのです。例えば、今日の現代的な飛行機に乗り込みますと、この飛行機を作るためにどれほどの発明の才能が必要であったか、どれほどの創造力、クリエィティヴな力が必要であったかということがすぐに解ると思います。その意味ですべての人間が芸術家だと私は言っているのです。昔のドイツ語の表現ですが、医学を医術、農業を栽培術といったりしましたが、その術(クンスト)が必要なわけです。もちろん芸術でもその術を使わなければなりません。いわゆる現代の近代以降は芸術の概念を非常に高度な精神行為に美化してしまいました。昔は芸術という言葉はもっと技術とかの概念に近いもので、日常的に使えるということを本能的に予感できる言葉でした。その意味で芸術大学とか、あるいは画廊とかいうろくでもない、けつの穴みたなところで営まれているものだけが芸術だと思ってはならないわけです。」ヨーゼフ・ボイス「草月ホール対話集会」
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by artsnpolink | 2009-10-13 15:51 | ●学校・講座
AAF学校第五回「芸術とマルチチュード」
AAF学校2009
第五回「芸術とマルチチュード」
講師 廣瀬 純さん(龍谷大学)

廣瀬さんの講義は、ヒッチコックの「鳥(原題"the Birds")」と、小津安二郎の「おはよう」という二つの映画作品を読み解きながら、グローバルなコミュニケーションにおけるネットワークから逃れ、いかにして慎み深い《普通の》身体を獲得できるか。そして、大衆が連帯することで、巨大な(もはや暗黙の)構造に対していかに立ち向かうことができるかということを考察する機会となりました。(嗚呼、難解・苦笑)
「アート」や「アーティスト」というアイデンティティから結局のところ逃れていない僕たちが、地域に入りこんで大衆皆創造主であり主人公であると投げかけたところで、それはもはやグローバルなコミュニケーションのもつ権力そのものを、無自覚に行使しているにすぎないのではないかという、第3回目の講座と同じ問題が、ふたたび提起されたような気がします。


「万国の鳥たちよ団結せよ、失うものは羽しかない」

ヒッチコックのコメントの中に「ふつうの鳥が集まることで怖くなる」という一節があります。カモメちゃんとか雀ちゃんとか、鳩子ちゃんポッポとか、かわいらしい童謡や哀愁漂う昭和歌謡になるような、ふつうの鳥さんたちの、《普通の》イメージの量的な蓄積がなんらかの新たな飛躍をうみだしているということです。

マルクスとエンゲルスの共産党宣言の最後にある、「万国のプロレタリアよ、団結せよ」のパロディでもある「万国の鳥たちよ、団結せよ。失うものは羽しかない。」という言葉の中には、2つの意味が見いだせるそうです。
ひとつは、そのもの羽を失うということ。それは、色鮮やかなカナリアの羽がなくなるとき、おなじく羽を失った雀とほとんど見分けがつかないという、日常的な鳥がさらに普通の、狭義の意味で普通の鳥になりながら、同時に恐ろしいヒッチコックの鳥になるということを意味しているといいます。
つぎに、万国の鳥たちが団結するという一文です。ここで重要なことは、この映画は確かに「万国の鳥たちが団結する」のではありますが、決してレーニン鳥のような、親分鳥がいて、万国の鳥たちに呼びかけているわけではないというところです。

ここでヒッチコックは、全世界の鳥の、いわばグローバルなネットワークがつくりだす集団性とその身体性を問題にしています。
一方、小津の「おはよう」という作品ではどうでしょう。
おなじように、グローバルなネットワークが問題になります。ただ、言語活動レベルでのネットワーク、「おはよう」と言い合うことでの人間のコミュニケーションネットワークを撮影しようとしています。ヒッチコックの身体性に比較すると、いわば脳的です。
さらには、「おはよう」と言い続けると「おはよう」がなんなんだか、誰が言ってるんだかよくわからなくなるという、おはようという言葉の物理的・物質的な響きが際立って来るという、音がほとんど肢体から遊離して、音として響くような問題をも提起しており、そこから立ち上がる新たなネットワークが見てとれるといいます。(嗚呼、難解)
小津の話しを「万国の鳥たちよ団結せよ、失うものは羽しかない」とおなじだとすると、どの登場人物も、みな一様に普通の人として、グローバルなコミュニケーション・ネットワークのエージェントとして、普通の烏合の衆のひとりとして描かれており、どの人も同じような《人》として登場します。ここでも、外部からそのネットワークを指導するようなレーニンのような人は出てこないのです。

この「おはよう」という映画の中には、小学生の兄弟が出てきます。彼らは、我が家にもテレビを買ってほしいと言って子どもながらにいろいろ画策します。最終的には、一切しゃべらないということで脅しをかけます。聞かれても答えない、お口のストライキ。
この映画では、しゃべらないことが権利要求の手段として意図的に描かれているそうです。なぜなら、ある種の労働は、すべて言語に結びついて行われるからだと廣瀬さんは提起します。
言語活動のグローバルなネットワークを描く作品の中で、しゃべらないというストライキ活動によって、言語活動のネットワークを支配して自分たちの思い通りに導こうとしています。
この、子どもたちによる反動的な作戦は、つぎの二つを意味するといいます。
ひとつは、言語活動のグローバルなネットワークからは外には出られないということ。もうひとつは、外に出て、ネットワーク全体を支配しようとすることはできないということです。

ほかにもこの映画の中の重要なシークエンスとして、オナラのシーンも出てきます。
「ブー」という、なんだか妙ちくりんなリアルじゃないオナラの音が鳴ります。技術的レベルでは、もっとリアルなオナラの音を再現できたはずですが、ここでは、どこで鳴ってるのやらわからないような、どうも宙に浮遊しているような、オナラでありながらオナラでないものに聞こえる音が出てきます。
そして、河川敷でラヂオ体操をしながらリズミカルにオナラをしていると、いつのまにやらホルンの音になって音楽の中に入っていくのです。ブーッブブブー♪
オナラのブゥーという音は、あくまでもどこかオナラの音に留まっています。決してグローバルなネットワークの中から脱出して、外に出てしまったわけではありません。だけれども、なんだかヘンな軽さとともに、違う時間の流れを生きているようなところがあります。小津が問題にしているのは、とりあえずこのへんからやってみたらどうでしょう、ということだと廣瀬さんは指摘します。(ん?)

んまぁ、で、ついに!クライマックスでは家にテレビがやってきます!
ですが、子どもたちのストライキが実ったからという理由でもなんでもなければ、ネットワークの中の誰かほかの意志によってでもありません。廣瀬さん曰く、匿名的な動きの中から、温情のようにしてしかテレビが家にやってきませんとのこと。(嗚呼、難解)
この、テレビが我が家にやってきたというクライマックスの映像は、極めて慎ましやかに描かれます。やっとこさ念願のテレビがやってきたというのに、ドラえもんのように「じゃじゃーん、テレビィー」とだみ声で紹介するわけでもありません。薄暗い廊下にぽつんと「ナショナル」と書かれた段ボール箱があるにすぎません(テレビ本体は映らない)。そして、遠く廊下の突き当たりの部屋で子どもたちが、テレビがやって来たことを喜ぶほかに、その手前の電気が消された部屋、お父さんお母さんがご飯を食べていると思われる明かりの灯った部屋、さらに夜の寂しさ漂う玄関の存在が同時にすべて描かれます。テレビだけがヌキで描かれているわけではないんです。
それぞれの部屋の中で、玄関の外で、それぞれ別の時間が流れている感じがします。テレビの箱すらも動くことなく違う時間を生きています。このような慎み深さというか、奥手というか、軽さというようなことこそが出発点になりはしないかと小津自身が考えていたのではないかと廣瀬さんは言います。

このようにグローバルなネットワークから僕たちは脱却できていないにも関わらず、映画館の観客すらも巻き込むグローバルなネットワークという、ヒッチコック流の剰余価値の生産に組み込まれた場合に、どうやってその生産を拒否することができるのか。はたまたそこに選択の余地はあるのでしょうか。
他方、小津映画でみられたように、このテレビ箱の有り様とオナラの有り様とはかなり共通点があり、どちらもヒッチコックと同じくグローバルなネットワークの中に書き込まれたままになっています。そういう意味で、ある種の剰余価値の生産に動員されていることは、まさにその通りです。しかしながら、それと同時に、別の時間の流れを生きているようなところがあります。このように非常に慎み深いあり方で、なんらかのことが企てられています。
「厚かましさこそが革命であるかのように語られてきたけれど、ひょっとしたらこう考えてもいい。いま、この世の中は、厚かましい。こういう厚かましい世界の中で、慎み深さが革命的でないはずがない、そういうことを教えてくれます、それが僕がしゃべりたかったことです。」と、そう言って廣瀬さんの講座は終了しました。


次回のAAF学校は、廣瀬さん流に言うところの「大衆が即前衛となる」ことをワークショップを通して疑似体験してみます。ワオ!
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by artsnpolink | 2009-10-06 18:24 | ●学校・講座
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